頭の中に言葉が溢れていく理由
元気に送る手紙
近況として、学校にもなれて規則正しく、前より活力に溢れているよ。
授業が終われば、夕焼けと追いかけっこしながら帰る毎日。
たまに稜線を使ってかくれんぼもする。
お風呂を出たら、水玉模様の顔色を伺いながら明日の身支度をする。
その間、世話好きな月光は、足元をずっと照らし続けてくれる。
おかげで遅刻も無くなった。
夜のテレビを消して、ベッドの上で朝日に疼くなんて何年振りだろうな。
君のことを忘れていました。
君は捨てるものが無いんだね。
たとえ大切なオモチャを失くしても、又手に入れればいいって。
周りからもらった賞賛や信頼も惜しみなく振り切る。
そんな君は、君を見守ってくれる人がいる安心感と、どんなに失っても際限なく繰り返せる勇気を持っていたからだったんだ。
そんなこと分からなかったから、僕は君から遠ざかり、いつしか忘れてしまった。
君を学校のみんなが分けてくれた。
僕に名前をつけてくれた。
そんな些細な証明が、どれほどの安心感を与えてくれただろう。
毎日替わる山と川の色と深さが、生きろと励ましてくれている。
まだ若いみんなに実感出来ないだろうけど、僕には学校の先生の言葉がよく解る。
一言で骨身に染みて、あの頃の苦汁が込み上げ、本当に将来そうなるよとみんなに教えたくなるんだ。
でもそれは余計な御世話で、言った所で、言葉と言う記号を与えたに過ぎなく、何も伝わらないだろうって君の言葉を思い出す。
<strong>それは所詮、みんなの記憶を占領したい欲望</strong>
僕は大切なものを一つずつ捨ててきたから、今こんなにもみんなを大切に思える。
そう、僕とみんなの違いは多くのものを捨てたという事と、何か出来たからと言って褒めらたり、認められる事は無いということ。
世の中は常に不条理だ。
でも、その理不尽さに腹立てたり、失望すること自体おかしい。
その感情は自分でどうにかする。
みんなとの年齢の差は、その方法を幾つか知っているだけだ。
僕には可能性がもう無いかも知れない。
でもそんなガラクタな僕をみんなが1人として数えてくれたから、また君に会えたんだ。<br /><br />
atogaki(H24.12)
なぜこんな文章を書いたか少しあとがきとして説明いたします。
この出来事は僕の主観ばかりで時系列など
少し狂う所はありますが90%以上事実です。
自己体験です。
書いた当初、僕はお茶をやめようか悩んでいて相談をしに先生の所へいきました。
(彼女と別れてからもずっとお茶は続けていました)
BKOを書いた理由は自分の素性、性癖、家族間の問題などUST配信で露にされてるある方に影響されたからです。
(とりあえず伏せておきます)
そんな他者の影響から彼女やお茶に対して自分に踏ん切りをつけようとこの文章を書きました。
彼女と別れてからの経緯を簡単に追記します。
別れてから、僕は半年後に彼女の家から近い家から引っ越して一人暮らしをはじめました。
その半年は本当に地獄でした。
だって彼女は目の先にいて生活していて、思い出の溢れたものに囲まれている。
自分が一人であるという事をいつも首根っこを掴まれて脅されている気持ちでした。
でも生きるためには仕事へ行かないと行けないし、こんなプライベートな事話せる人は誰もいないけど
働く事だけが自分の生活リズムの基盤を作ってくれると思いズルズル生きていました。
常に俺は生きる屍だと思って本当に無気力でした。
でもその後何がきっかけではないけどやる事もないし
自分の病気にしっかり立ち向かおうと思いました。
でも内心は彼女に繋がる道を探していたんです。
その頃は認めたく無かったんですが、そのくらいでも生きる理由を作らないと僕はこの世にいる意味を探せませんでした。
そして
ウツの仕組み
ウツとはいったい何なのか
病気、異常と正常の境界線は?
治るとはどういう事か?
どうすれば治せるのか?
などの答えをだそうと懸命に模索しました。
そこで哲学、心理学、催眠術、コミニュケーション、カウンセリング、気功、ヨガ、瞑想など色んな本を読み、色んな人に出会い、様々な体験しました。
今は完全に薬を断ち、精神障害者保健福祉手帳も必要なくなり通院もせず、正常と異常の境界がわかり治ったとハッキリ言えます。
そして医者やカウンセラーのいう治ると言う事と当事者から見た精神病が治ると言うことの違いが分かりました。
文章中で凄く医者やカウンセラーを批判し軽蔑していますが、確かに治すにはその役割が必要な場面があるので誤解されないようお願いします。
言うなれば、僕についてくれた先生とカウンセラーさんは良い人に巡り会えたと思います。
言葉にすれば数行の出来事ですが、本当につらい事がその後も幾つかあって治ったと言える3年くらいかかりました。
書いた理由である、お茶をやめようと思ったわけを言います。
僕は本業とは別に今カウンセリングをしています。
自分の内側ばかりを見るのを少しやめ、色んな価値観や考え方を知ろう、外側を見ようと思いカウンセリングをはじめました。
そして、より多くの方に知ってもらおうと思いワークショップをしたりしました。
そういう行動や出会いから、今までとは数寄(すき)なものが変わってきました。
もちろんお茶の先生は、今でも大好きです。
僕を救って頂いた方の重要な一人です。
なのでやめるかどうかは本当に迷いました。
しかし、僕がお茶をはじめた理由やキッカケは不純にも彼女の為なのです。
いくら時が経ち続けていてもそれは変わりません。
そんな不純さが凄く恥ずかしく、お茶を続けていく事に対して申し訳ないという想いが募ってきました。
興味もカウンセリング等の方に向いてしまい意識が散漫になってきました。
やるならばもっと真っ直ぐな気持ちでお茶と向き合いたい。
そうなるまで少し休みたいと思ったのです。
先生にそれを伝えたら
強く引き止められました。
やめたいという言葉を発しようとしても、その雰囲気に感づいて会話を何度もはぐらかされました。
そして、僕の点前が好きと言ってくれました。
そんな最高の褒め言葉はありませんでした。
しかし、本気で今はカウンセリング等の事がやってみたいからと伝えました。
そうしたら『いつでも好きな時に来なさい』と言って下さいました。
別れてから一ヶ月ほどで彼女はお茶に来なくなった時
僕が先生に『彼女はどうしてますか?』と聞いた時がありました。
その時は『良くわかんない』としか答えてくれませんでした。
その後、僕は一度も彼女について聞きませんでした。
それから一年くらい年輩の方に囲まれて1人お稽古に行っていました。
僕は何も聞いていないのに『彼女は仕事を辞めて元気そうだよ』と最後に教えてくれました。
先生は『もう言ってもいいと思ってね』と言いました。
僕は何も聞かず『良かったです』とだけいいました。
本当に嬉しかった。
そんな後日談であります。
という美談だけではない僕の一面がこのブログには書かれています。
例えばこの話しは3年後の2015年12月の話です。
ナンパをしたり、まともに付き合いもせず体だけのセフレ状態がいたりというのは去年の出来事です。
それの行動全ては自分の快復の為でも彼女の為でもありません。
ただの僕の欲望や探究心です。
それらの行動が鬼畜だと罵られても僕は一切後悔をしていません。