ウラメにでた日々

4月から短大生

日々のどうしようもないセイショウドウをつらつらと精神安定の為に小説も書いとるわ

深夜1時に交番に駆け込んだ

深夜1時に近くに自転車を止めて交番に駆け込んだ。

 

なんせここは山、川、柿畑に囲まれ横殴りの突風吹き荒ぶ片田舎

 

一等星のように煌々と照らしている中心

 

 

『すいませ〜ん!……すみませーん…』

 

押さえた声でも響き渡たり、扉の奥から返ってくることは無かった。
グレーの教卓の上に厚紙で出来た立て札を見ると
只今パトロール中、ご用意の方はこちらへと200番代の3桁の数字が二つ書いてあり隣に四角いプッシュ式の電話が置いてある。

諸々の業務用道具から懐かしさをおぼえ落ち着きを取り戻した。

利き手で白い受話器を取りその200番代の数字を押した。

 

 

『もしもし、どうしました?』と穏やかでゆったりした声はそこから返ってきた。

 

『あの、ケータイ落としちゃったんですけど』

 

『そうですか、何時頃どの辺りとか分かりますか?』

 

『場所は分かってるんです。時間は昼の11時半くらいです。iPhoneなんです。』

 

『分かりました、直ぐ戻りますので少々お待ち下さい』
と切れた。

 

なんだか凄い安堵感に包まれて一息ついてから周りを見渡すとこんな田舎にも高校生くらいの子が行方不明になっていたり、殺人容疑の手配書が貼られている。

 

反対側には知らないアイドルが婦警のコスプレをして抑えた笑顔を向けていた。

 

シ〜ンという音が漫画の神様に描かれたのは確かな描写だと感慨し、MacBookを開いた。

 

昼から何度も【iPhone 紛失】をネット検索しiCloudで何度もiPhoneの現在地を確認している。

 

昼にバイクで出掛けようと5分走らせた所でナビ代りにハンドルにさしていたそれがすっぽ抜けて落とした事に気が付いた。
すぐに3往復したが見当たらず、近くのドラッグストアで電話を借りて掛けさせてもらったが無反応。

 

仕方なく家に戻りMacBookからiCloudiPhone現在地を探した。
電源が入っていた為経路で確認出来たが、バッテリーは40%くらいしか残っていない。
つまりこれがタイムリミットだ。

 

 

MacBookを片手に自転車に乗りアキバ電波野郎さながらのスタイルで思しき付近を探索した。
二階建てアパートを示している。その一階のインターホンを押してケータイ拾っていませんか?と尋ねた。

 

……知らないです…とかなり不審がられた。

 

二階の方や向かいの方にも聞こうと思いピンポンしたが留守らしい。
アパート住民は洗濯物が干してあったり、カーテンが閉まっていたからまた午後にこようと思った。

 

iCloudではiPhoneの居場所やロック、音を鳴らしたり、トップページに文字表示など遠隔操作ができる。

 

こんな事失くして初めて知った。
iCloudの凄さ、必要性を実感した。

 

場所も分かっているから安心して5時と7時、9時にそこに行きますと連絡し付近を調べた。

 

二階や向かいのインターホンを押すが無反応。
こんな時間に居ない筈はないと外から見ると裏では照明が付いているから恐らく不審者に思われ居留守をされたかもしれない。

 

 

押してもダメなら……イヤイヤ引けない引けない、でもどうしようもない。

 

iPhoneにも一切なく変化はなく不安はどんどん高まっていった。

 

夜12時なってとうとうバッテリーが切れ、不安はMAXになり交番へ訪れた次第である。

 

 

 

 

外から交番が照らされ軽自動車のエンジン音が鳴った。

 

『すみません、お待たせしました。』と二人の警官が降りてきた。

 

若い30歳位と50代の落ち着いたベテラン。

 

若い警官が

『私もiPhoneなので分かりますが探知されましたか?

管轄場所に問い合わせたら本日iPhoneの落し物お届けはないそうです。ちょっと詳しく状況話して頂けますか?』

 

僕は落としたであろう時刻や場所、経緯を詳細に伝えた。

 

『そうですか、じゃあ今は連絡取れるものが一つも無いと言う事なんでね。

困りますね、今から探しに行きます。
今の時刻ですから近隣住民に聞き込みは出来ないですが、

もし悪用しようと思っていたらパトカーのライトを見て出てくるかもしれません。

道端で見つけたら御自宅にお届けします。
紛失届けも受け付けましたので誰かが届けてくれたら手紙を入れるかして連絡します。』

 

こんな親切丁寧に対応してくれるとは思わなかった。
iCloudで遠隔操作できるから安心していたが、人の言葉の方がよっぽど信頼できた。

 

というか本当に困った時に警察は誰でも助けてくれて頼りになる、人を助けるのが仕事というのが本当にあるのだと思った。

 

社会に揉まれ、人と付き合い、家族と長くいると悪い所ばかりに目がいく様になり、裏切られた分だけ信じる事への努力が必要になる。
また期待した分だけ大きいな損失を感じてしまうから裏切られまいと予防線を張る。

 

どんなに優しい言葉、行動にも必ず損得があると知り仕事だからやってくれている、

自分を守る誇りや給料の為に否応無しに働いてくれていると考えてしまうようになるものだ。

 

でもこれだけやったし、やってくれたのだからもう紛失しても良いかなって気になった。

 

それにしても毎日欠かさず充電し、テレビよりも実際の人よりも接する回数のあるケータイ(スマホ)は自分にとってどんな存在なのかと考えさせられた。

 

 

鍵、カード、スマホが現代の3種の神器だ。

 

 

 

これをちょっと読んで欲しい。


【またか】4度目の iPhone 紛失で新しく学んだこと。 - たのしいiPhone! AppBank

 

 

分かり難いかもしれないが、つまりバックアップをしていればデバイスは何でもいいと言う事なんだ。

 

クラウドというシステムが出来てから記録は目の前のスマホやメモリーカード、simではなく目に見えないふわふわした正しく雲の様な存在になったんだ。
だからケータイを買う意味ってなんだろうって思う。

 

割引や異常なキャッシュバック競争で機種代は無い様なものである。
三社は毎月の定額使用料の奪い合うNMP合戦

 

目に見えるデバイスは無くしたの僕のデータはほとんど回復出来る。
今ケータイが無くて困るのは契約会社の電話番号とアドレスが使えない事だけで他のデバイスがあればほぼ変わらずの生活ができる。

 

皆が肌身離さず水没する危険を冒してまで握りしめて風呂に入り、正方形のボタンが潰れるまで何年も押し続けてるそれ自体に記録は残されていない。

 

スマホ依存者はゲームデータをアイデンティティのように感じているだろう。
タイムラインに釘付けの人もいるだろう。
既読の表示とその後ばかり気にしてる若者も多いだろう。

 

まるで自分を表している様に思っていたソレは失くしてもどうとでもなるんだ。
アプリデータは基本スマホに保存されてなくドワンゴやアメーバにあるんだ。

 

つまりいつも手にしてるそれは自分の押入れを覗き見る窓に過ぎない。

四次元ポケットの口だ。

 

僕は20歳位の時(ツーカーとかまだあった時代)ケータイをわざと持たない事にした。

 

確か失恋とかがキッカケだったけど、なんかこんな小さな画面に縛られている自分が恥ずかしく情けなく思ったんだ。

本当に本当に用事があるなら自分も相手も何とかするだろう、用が無いのに気にしてる依存状態が嫌で嫌で堪らなかった。
しかも抜け出せない。

 

メールを勤しんでいる世間の中、一年位参加しなかった。

 

その時と同じ感覚を今回は強制的だけど味わっている。

 

その頃と違うのは、でも何とかなると言うこと。
今はデータを捨てた訳にはならない。

 

 

悲しいのか嬉しいのか分からない。