ウラメにでた日々

4月から短大生

日々のどうしようもないセイショウドウをつらつらと精神安定の為に小説も書いとるわ

眼前

一週間経った。
前より平然といられる時間が増えた。
しかし、やはり気になる子を毎日追いかけてしまう。
学校というものは非情に残酷なものだ。
日本の教育、集団生活様式とは。

しかし、それで助かっている事もある。
もし今1人なら俺はもっと内に籠るだろう。そして、表に出る理由は、婚活パーティーで寂しさを共有できる相手を探すだけだろう。
それを思えば、必ず行かないといけない、素性も明かさず、楽しそうに生きてる若さの輪に囲まれて、埋もれていれば知らずと笑うキッカケは与えてもらえる学校は…救いになる。

社会人の様に会話がないからと言って無理にどうかした?と聞かれ
何もないです。と言った後、追い打ちをかけて欲しいからと、口角を上げながら眉を下げる必要も無いんだ。
ただ、窓をたまに眺めたり、シャーペンの先を眺めて、消しカスを集めていればいい。



でも、やはり寂しい。
家では1人。途轍もない孤独が押し寄せ電気をつけるのも悪い気がしてしまう。

学校でも、その気になる子には近づかないでいる。
その子のいるグループの子は、自分が俺に何かしたかと気にしている。
悪い気もするが、それでも数分後にはただただ無防備に騒いでる彼女らに恨めしく、憎しみも感じてしまう。
だから何も言えず、俺は少し距離を取る。

近寄れば俺は楽しい。それは明確だ。

楽しいからまた、彼女に近づいてしまう、気になってしまい、期待してしまう。
だから、俺は変わった、おかしいと思われても離れる…しかない。


そんな関係になる事、自分の居場所なんて、告白する前から分かっていた。
単純に人を好きになるという事は、不特定多数に迷惑を掛けるものだ。
そんなこと中学時代から知っている。
その苦しみと罪悪感を敬遠して10代は慈愛に満ちていたんだ。
だけど20歳に一度告白してから俺の人間関係の拮抗は崩れた。


また同じ過ちを繰り返すかも知れないが俺は婚活しようと思う。
長い間どうでもいい出会いを捨てていた。
少しだけ人の出会いを大切に出来る気がする。
田舎暮らしの人が、縁だからと本当にそんな簡単に人を選んでしまう気持ちが少し分かる。

それが出会いを大切にすると言うことなのかもしれない。

お金も時間も人も余裕がある時には感じもしなかった。

今じゃ選ぶ余裕も誰かを守る抜く気力もないけど、、、

目の前の人は大切にしたい。