深夜1時に交番に駆け込んだ
深夜1時に近くに自転車を止めて交番に駆け込んだ。
なんせここは山、川、柿畑に囲まれ横殴りの突風吹き荒ぶ片田舎
一等星のように煌々と照らしている中心
『すいませ〜ん!……すみませーん…』
諸々の業務用道具から懐かしさをおぼえ落ち着きを取り戻した。
利き手で白い受話器を取りその200番代の数字を押した。
『もしもし、どうしました?』と穏やかでゆったりした声はそこから返ってきた。
『あの、ケータイ落としちゃったんですけど』
『そうですか、何時頃どの辺りとか分かりますか?』
『場所は分かってるんです。時間は昼の11時半くらいです。iPhoneなんです。』
なんだか凄い安堵感に包まれて一息ついてから周りを見渡すとこんな田舎にも高校生くらいの子が行方不明になっていたり、殺人容疑の手配書が貼られている。
反対側には知らないアイドルが婦警のコスプレをして抑えた笑顔を向けていた。
シ〜ンという音が漫画の神様に描かれたのは確かな描写だと感慨し、MacBookを開いた。
昼から何度も【iPhone 紛失】をネット検索しiCloudで何度もiPhoneの現在地を確認している。
……知らないです…とかなり不審がられた。
iCloudではiPhoneの居場所やロック、音を鳴らしたり、トップページに文字表示など遠隔操作ができる。
場所も分かっているから安心して5時と7時、9時にそこに行きますと連絡し付近を調べた。
押してもダメなら……イヤイヤ引けない引けない、でもどうしようもない。
iPhoneにも一切なく変化はなく不安はどんどん高まっていった。
夜12時なってとうとうバッテリーが切れ、不安はMAXになり交番へ訪れた次第である。
外から交番が照らされ軽自動車のエンジン音が鳴った。
『すみません、お待たせしました。』と二人の警官が降りてきた。
若い30歳位と50代の落ち着いたベテラン。
若い警官が
『私もiPhoneなので分かりますが探知されましたか?
管轄場所に問い合わせたら本日iPhoneの落し物お届けはないそうです。ちょっと詳しく状況話して頂けますか?』
僕は落としたであろう時刻や場所、経緯を詳細に伝えた。
『そうですか、じゃあ今は連絡取れるものが一つも無いと言う事なんでね。
もし悪用しようと思っていたらパトカーのライトを見て出てくるかもしれません。
というか本当に困った時に警察は誰でも助けてくれて頼りになる、人を助けるのが仕事というのが本当にあるのだと思った。
どんなに優しい言葉、行動にも必ず損得があると知り仕事だからやってくれている、
自分を守る誇りや給料の為に否応無しに働いてくれていると考えてしまうようになるものだ。
でもこれだけやったし、やってくれたのだからもう紛失しても良いかなって気になった。
それにしても毎日欠かさず充電し、テレビよりも実際の人よりも接する回数のあるケータイ(スマホ)は自分にとってどんな存在なのかと考えさせられた。
鍵、カード、スマホが現代の3種の神器だ。
これをちょっと読んで欲しい。
【またか】4度目の iPhone 紛失で新しく学んだこと。 - たのしいiPhone! AppBank
分かり難いかもしれないが、つまりバックアップをしていればデバイスは何でもいいと言う事なんだ。
皆が肌身離さず水没する危険を冒してまで握りしめて風呂に入り、正方形のボタンが潰れるまで何年も押し続けてるそれ自体に記録は残されていない。
つまりいつも手にしてるそれは自分の押入れを覗き見る窓に過ぎない。
四次元ポケットの口だ。
僕は20歳位の時(ツーカーとかまだあった時代)ケータイをわざと持たない事にした。
確か失恋とかがキッカケだったけど、なんかこんな小さな画面に縛られている自分が恥ずかしく情けなく思ったんだ。
メールを勤しんでいる世間の中、一年位参加しなかった。
その時と同じ感覚を今回は強制的だけど味わっている。
悲しいのか嬉しいのか分からない。
最後のグラインダー
どうでもよくなる緑と青
これはもう少し真面目にやってるブログのところの記事です。
僕は去年沖縄へ初めて行った。ハマるって言葉が安易過ぎて使いたくないけど、衝撃があり過ぎてずっとホワホワしていた。
初日に泊まったゲストハウスでは洗礼を受け泡盛やオリオンビールを吐くまで呑んだ。
でもその味が忘れらなくて本土に帰ってからも泡盛を買い、三線を始めたり、音楽、ドラマ、映画と琉球や沖縄、美らとつくものをとにかく漁った。
寒空を1人歩いて立ち寄った小屋でついでくれたホットミルクが冷めないようにホワホワした湯気を永く立たせていたかったんだと思う。
でもこちらの季節が移る程、空は冷たく、風が強くなり、ミルクの表明にはいつしか膜が張りホワホワした湯気を見たり感じることが出来なくなっていた。
三線の音もかすれ、島の言葉もオーディオになり別の国となってしまった。
そんな気持ちでこちらの三線教室へ行くのは少し気が引けた。
何が好きだったのか分からなくなってしまったんだ。
それは3ヶ月くらいだっただろう。
そうだろう、よく3の試練、恐怖とか言い付き合って喧嘩や浮気など別れの危機を感じるのがそんな周期である。
そんな予想はしていた。
所詮ただの旅行だし、酒飲んで、バイクで海沿い走って、海見ただけだから。
でも丁度一年越しで沖縄の砂を踏んだ。
一年前違うブログで僕は『捨てる旅』という記事を書いた。
今年2月に仕事も辞めて本当に社会的地位、安定や将来を捨ててしまった。
そう、僕は今回の沖縄へは前回と違い何も持って行かなかったんだ。
僕は生まれて初めて海に潜った。
最初の海が沖縄で本当に良かったと思う。
珊瑚が足元にある、魚が近くにいる、海の中にいる、色彩豊かな自然色が当然にあった。
僕は自然はもっと厳しいものだと思っていた。
山登りのように辛い思いをして、木陰からほんの見える遠山や雪景色、紅葉、鳥の音など微かな喜びを大切にポケットしまいながら絶景を夢見て頂上を目指し、
到達した時何かをおさめたような、成し遂げたような、悦に浸る事が自然との調和、一体化と思っていた。
所謂SM、恐悦至極の境地が人と自然との関係であると。
でも何だこの、全く勿体ぶってない、開けっぴろげにしかも自慢している訳でも無く、居たいならどーぞご勝手にと言わんばかりの緑と青
母なる海というが正しくその通り、美ら海とか大袈裟にしまんちゅがキャッチフレーズで言うが全然嘘じゃなかった。むしろ疑ってたこっちが幼く思えた。
僕は海に入ってから色んな人が優しく思えてならなくなった。
信用するとか、疑わないとかそういう事じゃない。
スイッチがカチッて、路線が変わった感じだ。
人と触れる時人は疑う目を持ってしまう。性善説、性悪説みたいなもので。それは経験と共に悪のレッテルを貼ったり、自らを黒く染めておいた方が深く傷つかないでいいんじゃないかと学ぶ。
それは賢い。
でもそうすることによって相手からも自分の白く透明な部分を探し難くなってしまうんだね。
僕は海がこんなに綺麗だから守りたいと思った。だから島人の言葉も素直に入ってきた。
まるで今までずっと刺さっていた釘を抜かれ身体が軽くなりシャンとした。
帰りの飛行機では関西や福岡の言葉が聞こえる。棘があり、僕は刺さらないよう先に胸の下あたり(横隔膜の下の辺)に釘を刺した。
小さな痛みは大きな痛みによって制することが出来るから。
でも迷ってみた。
ひと息口から吐いて、いつもの様に鼻から息を吸うのではなく、
顔を上げて頬を緩め言葉の通じない鳥や蝶や牛や魚に触れるように見つめてみた。
そうしたら釘がスボッと抜けた。
よく迷うと思う。
誰だって自分のことだから迷うよね、それで答えを聞きたくなる。
そして迷った時どうしたらいいかって方向や答えを決めたくなる。人の事例を集めたくなる。
でも緑と青の美ら海を思い浮かべると、もうどうでもよくなってしまう。
どうでも良くなるって何か投げやりで何方に転んでもいいようなズルい賭け方みたいだけど、そういうのじゃない何か違う。
これを諦念、受け入れ、悟り、放棄とか要約すると感じが変わってしまう、そんな意味とも違う。
きっと島の言葉(ウチナー口)では存在していると思う。
海がどうでも良くなることを教えてくれた。
trans
それは午前2時くらいだったと思う。
僕は何度も電話しメールした。
にこういう時は大袈裟に100回とかいうけど。15回くらいだった。
それは確か
殺さないでくれとか
助けてくれと言う内容だったと思う。
僕はこの世界で誰にも見られていないと感じた。
もう生きているのか死んでいるのかも分からなくなった。
また過呼吸になり苦しさに身を任せてもくたばりたいとか思っても
意識はあり自分でビニール袋をとりにいっていた。
風呂にいってぼーっとしたり部屋をウロウロしたり
何がやりたいのか全く分からない状態だった。
死にたいが思考が働いてしまいどうしようと思ってしまう。
彼女の後ろ姿ばかりが出てきて涙が止まらなくなる。
声を上げて泣いたのも初めてだった。
もう思いが言葉にならない、感情が言葉にならない。
ただのケモノだった。
どんなに精神が狂っても
オレの身体はまだ生きたいらしい。
でももう何もないよ。
それでも僕はこんな時人はおかしくなってしまうんだなと少し分析もしている。
僕は少し落ち着き母に電話をした。
でももう夜更けで全く通じなかった。
やはり何もないか
これはいいエンディングなのかもしれない
悲劇的な英雄になれる、日記もあるし遺書は要らないだろう
ぼくは死ぬ
でもこの孤独だけには耐えられない。
とにかく孤独から逃れたかった。
もし安堵間の中でこんな現象になったら簡単に死ねただろう。
ベッドの中、半分寝たような状態で
ぼくは最近覚えた自立訓練法(自己催眠)のイメージをした。
しかしいつもと違い眠る事が出来なかった。
眠ったら次の日が自然に来るのが悔しかったからだ。
目を閉じイメージした。
暗闇の中で暗闇のイメージをした。
少しでも光があるのか探した。
そしてぼくはおもうがままにカラダをうごかした。
自動的に上半身が起き上がり
おおきなたまをいだくカタチでおちついた。
そのたまは目をあけていないがオレンジいろだった
イメージだけで色がはっきりつたわってきた。
後で分かったんだけど、これは深い催眠状態(トランス)だった。
ぼくは抱きしめているが抱かれているような安心感に包まれた。
そうか僕は(たま)だったんだ。
(たま)に意味などないし感情も理屈もない。
このオレンジの(たま)がここにあり
ただそれだけのことなんだ。
ぼくは寝ていた。
次の日も起きて自転車で仕事へ行った。
おわり
houkai
きっとすごいスピードで凄い吸収、集中力だっただろう。
仕事から帰って夜10時から直ぐに湯を沸かし、机を片付け
鍋を釜、引き戸を襖に見立て
畳の節目を歩幅で想像毎日12時まで練習した。
表千家の本を床に平置きし
個々の道具の使い方(割稽古)
男のみの(男点前)
運びから拝見、終いまでの通し稽古をした。
先生の声を思い出し注意された所を気をつけた。
本を見ながら出来ても実際、稽古に行くとさっぱりだった。
先生に話しかけられたり、一回間違えるともう頭は真っ白だった。
だから本を見ないでも出来るように練習を重ねた。
僕は先生に色んな事をよく相談した。
先生は僕等の事をきっとよく知っていた。
前に離れた方がいいと言われ恨めしくも思った。
彼女の情報をえたいという気持ちもあったが何より
僕はやっぱり先生が好きだった。
この人には敵わないし、きっと敵ではないんだろうなと思っていた。
例え僕がボロボロになっても見放さないだろうと思えた。
先生には下らない質問もよくした。
コダワリは必要ですか?
考えることはいい事ですか?
僕はおかしく見えますか?
数奇とはなんですか?
まるで五歳児の様に質問した。
『彼女は今何をしているか』と言う質問は除いた
休日は茶道具屋へいったり、オークションで茶道具を買いあさった。
モチベーションを保つ為に彼女との思い出の場所へいき想いに浸った。
まさしく生きる理由は執念だけだった。
成果や結果が予想でき期日も決まる確信出来た時
人は物凄い集中力と行動力を出せる。
ただ、それは一瞬の煌めきなのだが…
その煌めきはとても美しく力強く超新星爆発のように光の記憶だけ残り
現存維持できなく微塵も残らない
一服の間の炭
香をたたせ、温もり、愉しみを醸しだし
興醒め残るは冷めた湯と灰
僕は彼女に連絡しクリスマスに会う約束を何とかとりつけた。
彼女はひどく嫌がっていた。
この数ヶ月触れる事、連絡さえもずっとしていなかった。
最高のもてなしが出来るようにディナーを予約し
気に入りそうなアンティーク調のデスクランプをプレゼントで持っていった。
それは彼女に全て秘密にして会う約束だけをした。
食事を一緒になんて絶対拒否されるのは分かっていたから
当日ディナーもプレゼントも驚き喜んでくれた。
お金を出せば一瞬の心を掴む事は容易に出来る。
一瞬の隙が出来れば後はそこに全力を注ぎ込むだけ。
今日の僕は全てを捨て爆ぜる眩い光の記憶で有ればよい。
彼女に今までの僕の思いを告白したら彼女は泣いて謝った。
僕は平静を保つように(いつものように)明るく振舞った。
一緒に手だけ繋いで帰った。
一緒の電車に乗り、一緒の駅に降りた。
何ヶ月振りだっただろう、すごく前の気がする。
嬉しさと懐かしさが本当に辛く
寂しさに包まれた。
僕はもう少しだけ居たい。
家に来て欲しい。
こんな日だからと懇願した。
僕は今日しかないと思っていた。
彼女は嫌がったが断れない感じで仕方なくついて来た。
僕はまた手を差し伸べた。
彼女は拒否したが強引に手を繋いだ。
手を繋いでいるのにさっきより距離を感じる。
歩くペースも遅く、ダダをこね泣き疲れた後の子供を引き連れているような二人だった。
手を繋いでいる事が辛くなり僕は離してしまった。
彼女の足取りは少し良くなった。
部屋に入るのも躊躇っていた。
入ったら部屋の配置や道具の変化に彼女は一つ一つ驚いた。
そのたびに僕は身を削られる思いだった。
僕は生きていたんだよと伝えたかった。
彼女が訪れなくなってから僕は部屋に帰りスイッチを付けると
部屋の違いが無いか期待していた。
なんて僕の心情をを彼女は一寸も感じていなかった。
想像してくれないのだな。
と確認できてしまった。
僕はサンタの顔のペーパーウェイトを返した。
少し待ってもらいお茶の用意をした。
そして薄茶と濃茶の点前を披露した。驚き感心していた。
僕は自慢気に続きまして~という感じで思いの丈を記したノートを手渡した。
まるで僕の怨念のようなノートは数十日間の日記であり数時間では読み終えられない量だった。
彼女は預かりたいと言ってじゃあそろそろと帰り支度をはじめた。
僕は前から抱きしめようとした。
もうダメだった。
彼女が居ないと僕はダメだった。
もう完全に万策尽きてしまってセックスしか考えられなかった。
彼女は物凄く抵抗した。
手を触れる事ですら拒否り、キスも出来なかった。
怯えた目で彼女はケモノをみるように睨んだ。
そして憐れむように『ごめん』と言った。
『ふざけるな!』
『お前、俺がどれほどの事をしてどれだけお前のためにやってきたかわかるか?
バカかてめぇ‼病気なんて関係なぇ、俺だって病気だからわかんだよ。』
『てめぇは病気を口実に甘えてるだけだ!
家から出ようとせず、誰も受け入れず。
俺がどれほどお前を変えようとしたか、どうしたらいいか努力し願っていたかわかるか?
わかんねぇから俺にそんな態度とり続けてるだろうけど。
結局お前はごめん・・て謝りゃみんな助けてくれると思ってんだよ!
普通誰も助けてくんねーし、助けてくれたなら恩返しすべきだし…』
僕の本当の告白は彼女へはじめての暴言だった。
彼女はそれでもごめんしか言わなかった。
いや『ごめんなさい』と言った。
ごめんなさいしか彼女は言わない。
彼女はいつもと違い泣かずにいた。
そしてずっと僕を真っ直ぐ見つめた。
もう彼女は泣かない。
『見るな、見んじゃねーよ』
初めて彼女の前で僕は泣いた。
震えて小さくうずくまり何も見たくなかった。
もう全て終わったと思った。
彼女が近づいて僕に触れようとした。
それは浮浪者に施しをしているような憐れみ。
彼女は誰より慈愛に溢れていた。
だからこそ病んだんだ。
僕は触るな!と手を撥ね退け怯えて一人震えていた。
彼女は泣きもせず、荷物をまとめ部屋を出て行った。
僕は認めた。
認めるしかなかった。
荷物を持っていったあの時に
彼女の中ではもうこのゲームのような恋愛は終わっていたんだと
そしてこのゲームは最初から(二人)用ではなかった。
周りから見ても終わっていたから
両親も、職場の同僚、上司、医者、カウンセラーも協力的だったんだ。
唯一僕だけが(二人)用だと勘違いしていた。
僕は走った。
気付いたら彼女を追っていた。
この道を何度夜送り届け、行き来しただろう。
でもこんなに怖くて長く感じた事はない。
『待って』と叫んだ。
僕は思いっきり夜道で叫んだ。
しかし、声が出ていなかった。
彼女は僕の足音に気付き走って逃げた。
彼女はいつもと違う道を通って僕を巻こうとした。
彼女の足音と僕の足音の中に彼女の啜り泣く声も混じっていた。
声が出ないのでとりあえず追いつき引き止めようと走った。
でも角を曲がりいつもと同じ道に戻って彼女を見た時
僕は走れなくなってしまった。
僕は生まれて初めて過呼吸というのを知った。
荷物を失った時より数倍身体が重い
道端にへたり込み数分動けなかった。
振り返りもせず走り去った彼女の姿が何回もフラッシュバックする
僕は牢屋に戻り、自分で鍵をかけた。
もう死のうと思った。