ウラメにでた日々

4月から短大生

日々のどうしようもないセイショウドウをつらつらと精神安定の為に小説も書いとるわ

kyoujin

僕はだんだん気狂いになった。

 

 

ウツというフレーズがつく本を片っ端から手に取り本棚には収まらず床に散乱していた。

そして自分が体験できる事をすすんで試した。お金のかかる事は極力避けたが。

対人関係療法、認知行動療法も自分の解釈で実行していった。

 

 

認知行動療法を勧めている精神科医、カウンセラーは多くいる。

しかしこの治療法を自分で試して思ったのはいくら理論的に海外研究の結果がよくても上手くアドバイス、ファシリテート出来なければ効果はえられないと思った。

とても繊細で高度な技術を要すると感じた。

 

 

僕は医者、カウンセラーを全く信じない。

 

 

医者は数分で薬を選択し処方するだけの係。

カウンセラーは規定時間に話を聞く係。

 

詳しく言ってもカウンセラーの仕事とは沈黙になったら少し前に話していた内容から膨らませ会話が続くようにする。

或いは、うつ思考に多い何でこうなってしまったんんだろうと原因究明の闇に陥らないようにするために方向転換する。

つまりクライアントが深刻になると『考え過ぎは良くない』と思い込ませてくれる役割。

 

 

一般的なウツの快復とは日常生活ができて自殺願望を減らす事なんだ。

だから薬漬けになろうが、医者やカウンセラーを神格化し操り人形の依存症になっても生きていればOKなんだ。

 

僕が医者やカウンセラーを信じないのはそもそもお前は病気になった事ないだろ?

と思うからだ。

なってもない奴が気持ちを理解したり治せる筈がない。

 

俺は彼女を救う為、身を呈してるんだよ。

そのくらいお前(医者やカウンセラー)は治療の為に俺の中に踏み込められるか?

病気じゃなくとも愛してると言ってる自分の恋人、親、兄弟、親族、友達の為に

身を粉にしているのか?

 

そんなフワフワした奴に、

『自殺しなくて生きてれば幸せはいつかくるから、この先に何があるかわかないんだからね』

とか甘ったれた忠告を言われても【聞き損】としか感じない。

 

僕は薬をわざとやめたり、少なくしたり、多くしたり

生活リズムを変えたり、食事も肉をやめて魚にしたり

色々自分の身体で実験した。

 

 

自分の体調をいつも記録した。

精神状態の記録も、誰に会いどんな気持ちになったとか

何をしたら楽しく感じたなど毎日ペンをとった。

記録を読み返しては分析して効果がありそうなものは取り入れたり

無駄な所は省いたり、調整したり再構築し自分にあった生活リズムを作っていった。

 

そんなやっている事を彼女へ自慢気に話し

強要するような形で提案をした。

この治療法はこういった原理でこんな効果があり

効果的かどうか自分で実験したからこそ、立証出来た自信があったから。

 

 

 

 

僕はオープンだった。

 

 

彼女はありがとうと言った。

いつもありがとうと感謝していた。

しかし、話を聞きすぎて頭を使い過ぎると薬のせいか思考がまわらないと

よく弱音を吐いた。

体調が悪い日は実家の部屋から出ない日もあった。

そのころお茶のお稽古が(2人)の唯一の外出理由になった。

彼女の社会的繋がりでもあった。

 

僕は彼女の為に自分が全てを犠牲にしている自信に満ちていた。

 

故に彼女の職場環境、上司

精神科の先生やカウンセラーの判断を

常に疑い真偽していた。

報告してもらった。

 

よく彼女を行動させる為にアドバイスした。

時には強引に職場へ連れていってあげたり

僕が病院についていってあげた。

 

基本、医者に否定的だったけど

仕事を休ませるという先生の判断は賛成だった。

 

しかし、その後医者の対応は悪く薬をどんどん与えるばかりで

他の施しがなかった。

 

僕は他の医者(セカンドオピニオン)にも当たるべきだと助言した。

僕が先にその病院を調べたのだが、彼女の会社の上司の知り合いの推薦で

認知行動療法の本を出されている先生の所へ通うようになった。

 

僕は二人の関係が病気を治療する、側される側になってはいけないと思い

カップルとして旅行やデートの提案をした。

極力、僕が休みの日などで外出するときは一緒に誘った。

彼女はちゃんとついてきた。

僕の斜め後ろを。

 

共通のお茶の趣味で美術館、博物館、陶器の町などへ連れて行った。

それはそれはとても楽しかった(二人)の想い出だった。

 

 

続く