どうでもよくなる緑と青
これはもう少し真面目にやってるブログのところの記事です。
僕は去年沖縄へ初めて行った。ハマるって言葉が安易過ぎて使いたくないけど、衝撃があり過ぎてずっとホワホワしていた。
初日に泊まったゲストハウスでは洗礼を受け泡盛やオリオンビールを吐くまで呑んだ。
でもその味が忘れらなくて本土に帰ってからも泡盛を買い、三線を始めたり、音楽、ドラマ、映画と琉球や沖縄、美らとつくものをとにかく漁った。
寒空を1人歩いて立ち寄った小屋でついでくれたホットミルクが冷めないようにホワホワした湯気を永く立たせていたかったんだと思う。
でもこちらの季節が移る程、空は冷たく、風が強くなり、ミルクの表明にはいつしか膜が張りホワホワした湯気を見たり感じることが出来なくなっていた。
三線の音もかすれ、島の言葉もオーディオになり別の国となってしまった。
そんな気持ちでこちらの三線教室へ行くのは少し気が引けた。
何が好きだったのか分からなくなってしまったんだ。
それは3ヶ月くらいだっただろう。
そうだろう、よく3の試練、恐怖とか言い付き合って喧嘩や浮気など別れの危機を感じるのがそんな周期である。
そんな予想はしていた。
所詮ただの旅行だし、酒飲んで、バイクで海沿い走って、海見ただけだから。
でも丁度一年越しで沖縄の砂を踏んだ。
一年前違うブログで僕は『捨てる旅』という記事を書いた。
今年2月に仕事も辞めて本当に社会的地位、安定や将来を捨ててしまった。
そう、僕は今回の沖縄へは前回と違い何も持って行かなかったんだ。
僕は生まれて初めて海に潜った。
最初の海が沖縄で本当に良かったと思う。
珊瑚が足元にある、魚が近くにいる、海の中にいる、色彩豊かな自然色が当然にあった。
僕は自然はもっと厳しいものだと思っていた。
山登りのように辛い思いをして、木陰からほんの見える遠山や雪景色、紅葉、鳥の音など微かな喜びを大切にポケットしまいながら絶景を夢見て頂上を目指し、
到達した時何かをおさめたような、成し遂げたような、悦に浸る事が自然との調和、一体化と思っていた。
所謂SM、恐悦至極の境地が人と自然との関係であると。
でも何だこの、全く勿体ぶってない、開けっぴろげにしかも自慢している訳でも無く、居たいならどーぞご勝手にと言わんばかりの緑と青
母なる海というが正しくその通り、美ら海とか大袈裟にしまんちゅがキャッチフレーズで言うが全然嘘じゃなかった。むしろ疑ってたこっちが幼く思えた。
僕は海に入ってから色んな人が優しく思えてならなくなった。
信用するとか、疑わないとかそういう事じゃない。
スイッチがカチッて、路線が変わった感じだ。
人と触れる時人は疑う目を持ってしまう。性善説、性悪説みたいなもので。それは経験と共に悪のレッテルを貼ったり、自らを黒く染めておいた方が深く傷つかないでいいんじゃないかと学ぶ。
それは賢い。
でもそうすることによって相手からも自分の白く透明な部分を探し難くなってしまうんだね。
僕は海がこんなに綺麗だから守りたいと思った。だから島人の言葉も素直に入ってきた。
まるで今までずっと刺さっていた釘を抜かれ身体が軽くなりシャンとした。
帰りの飛行機では関西や福岡の言葉が聞こえる。棘があり、僕は刺さらないよう先に胸の下あたり(横隔膜の下の辺)に釘を刺した。
小さな痛みは大きな痛みによって制することが出来るから。
でも迷ってみた。
ひと息口から吐いて、いつもの様に鼻から息を吸うのではなく、
顔を上げて頬を緩め言葉の通じない鳥や蝶や牛や魚に触れるように見つめてみた。
そうしたら釘がスボッと抜けた。
よく迷うと思う。
誰だって自分のことだから迷うよね、それで答えを聞きたくなる。
そして迷った時どうしたらいいかって方向や答えを決めたくなる。人の事例を集めたくなる。
でも緑と青の美ら海を思い浮かべると、もうどうでもよくなってしまう。
どうでも良くなるって何か投げやりで何方に転んでもいいようなズルい賭け方みたいだけど、そういうのじゃない何か違う。
これを諦念、受け入れ、悟り、放棄とか要約すると感じが変わってしまう、そんな意味とも違う。
きっと島の言葉(ウチナー口)では存在していると思う。
海がどうでも良くなることを教えてくれた。